人間のベースは教育で作られる

 超今更ながらシルバーウィークは、ガス点検の業者が来るので慌てて部屋を片付け、ホームセンターからいじめられっ子の文鳥を引き取り、夫のDV……もといスパーで早くもパンチドランカーになりかけたところで終了。首がむち打ちになって肩から上の全てがしばらく痛かった。
 最近ではなわとびのロープをウェイト付きのものからヘビーロープ(ロープ自体が重いもの)に変えたせいか、肩周辺の激痛が治らない。
 いやー、ほんと格闘技って怖いし痛いし苦しいし、進んでやる理由が思いつかないスポーツだわ(笑)。

 本題。育った環境って大事だな~という話。

 毎年9月には、舅の法事(厳密には法事ではないらしいけど)がある。
 一年のうちこちらから義実家に行くのはほぼその時だけで、しかも土日にバタバタして終わるので、今回は休みを取って行ってきた。

 ……夫を「夫」と言うことに抵抗はないけど、お義父様を「舅」、お義母様を「姑」と言うのはなんかきついな。でも夫・父・母・弟と来ていきなりお義父さん・お義母さんはないから、もうそれで行くよ(´ω`;)

 それはさておき。

 今回は姑から、夫と義弟に関する話を聞くことができた。
 自分にとってはある意味、これまで名古屋で過ごした中で一番貴重な時間だったと思う。

 簡単に言うと以下のような内容。そもそもは私が「夫も義弟も良い環境で伸び伸びと育ったのだろうということがわかる」と言ったことに始まった。

 夫は頭が良くて何でもこなす子で、義弟は逆に何もできない問題児だったらしい。姑は「このままでは弟君がグレてしまう」と思い、懸命に勉強やスポーツを教え、一緒に頑張った。
 夫は父親譲りの頭のキレと体格に恵まれ、勉強もスポーツも難なくこなし、周りに頼られ大人にも褒められた。義弟は人一倍頑張ってようやく人並みになる程度だったけど、親御さんの頑張りのおかげもあって努力する癖がつき、大学は慶應に。その後某大手企業に就職し、今は公務員になっている。
 ちなみに、夫は放っておきすぎて努力をしない子になってしまったとか。……はい、その通りですお義母さん。

 夫は何でもすぐにこなせるがゆえに、ある程度できるようになると何の未練もなく辞めてしまい、長続きしない。
 ボクシングでも昔はプロを目指していて、たった一年半くらいで、スパーをした日本ランカーに「今度から俺が教えてやる」と言わせるほどのセンスと技術を持っていたのに、それで満足して辞めてしまった。んで今は「あんなしんどいこともうやりたくない」とかバカなの!?バカでしょ!!もう使わないならその才能と筋肉よこせー!!!

 えーと話を戻して。

 問題児だった義弟に対する舅と姑の頑張りがまた素晴らしくて、まさに親の鑑。どんなにできなくても決してそれを否定することはなく、とことん一緒にやったという。
 夫も完全にほったらかしだったわけではなかったようだけど、勉強を教えようとしても授業で理解しているので必要なく、特に家で勉強することもなかったのに成績は優秀だったらしい。ほんとこの人ケンカ売ってんのかな(#^ω^)
 まあ、それでも大学が私と同じだったというのはつまりそういうことで。やればできる子なのに、やらなければならない範囲外のことは基本的にやる気がないという超もったいない性格なのだ。

 また、姑は、叱る時に手を出したことは一度しかなかった(その一回を親に咎められ、以来やらなくなった)とか。
 そしてこれは見ていてよくわかるけど、兄弟同士、互いに妬み合うどころか尊敬し合っている。まさに理想的な家庭と言える。

 私の親の教育は正反対だったため、自分はできない子でいらない子なのだと思い込み、自己否定と被害妄想の塊になっていった。
 小~中学校ではいじめにも遭っていたため、居場所は祖父と祖母のいる一階だけだった。この二人がいなければ、私は今頃どんなにみじめな人生を送っていたかわからない。
 しかし、いくら祖父と祖母がいたと言ってもメインは親の元であったため、性格はネガティブ街道まっしぐらだった。私が仕事をしている、していないと落ち着かないのは、社会と関わり貢献する(つもりになる)ことで自分の存在を認めたいというのが一番の理由だろうと思っている。

 で。

 夫と義弟は自分で自分を認めることのできる人間だけど、私はそうはならなかった。好奇心旺盛だけど頭が残念なため何をやってもダメダメで、すぐ「やっぱり私は出来損ないの人間なんだ」と凹む。それは仕事でもボクシングでも例外ではない。
 でも、いつまでもこのままではいけない。凹んだからといって辞めたりはしないけど、無駄に精神力と体力を消耗するし、体調に支障をきたすこともあるので周りにも迷惑がかかる。
 だから敢えて向いていないとわかりきっていることにチャレンジして、努力してできるようになれば、少しは自分を認めることができるかもしれない。ボクシングを始めた裏にはそんな考えもあった。
 その結果さらに自信をなくすことになるかもしれないけど、そこはもう、そうならないように頑張るしかない。

 育った環境が全てではないけど、少なくとも自分や周囲の人を見ると、良くも悪くもその影響は大きいと感じる。
 大人になって考える力がついてもそれはなかなか抜けない。子どもの頃に刷り込まれた間違った考えや価値観は、おかしいと頭でわかっていても簡単には納得できない。そう考えることが癖になっている上、それまでの自分を否定することになるからだ。
 程度の差はあれ、虐待された子が親になると自分の子にも同じことをしてしまう、というのはこのためだろうと思う。

 だからそんな悪循環は断ち切らなければならないし、そのためにはまず自分に新たなプラスの刷り込みが必要だ。
 私はもっと自分を鍛えてとろろメンタル豆腐ボディを克服して、いつか子どもができた時、その子にとって恥ずかしくない親になりたい。
 そして、今回の姑の話で参考になったことはどんどん取り入れたいと思う。

 でも一番大事なのは、その子自身を否定しないこと。これに尽きる。
 生きていて一番つらいのは、自分の存在価値がわからなくなることだと思うので、これだけは本当に頭に置いておきたい。

 そんなわけで今日も、長い付き合いの弱虫花子をKOするためのトレーニングに励む。
 初試合の日も決まった。くだらない試合をしたら夫に離婚されかねないので:(´◦ω◦`):ガクブルだけどいっちょ頑張ってくる!

 ……普通なら「頑張れよ☆」「応援してるぞ♥」とか言うんだろうけど、うちは「つまらん試合をしないって約束するなら観に行くけど」だからなぁ(´;ω;`) んなこと言われてもなぁ_l ̄l●lll