なんじゃこりゃ~~~

 前から管理画面にエラーが出ていたのは知っていたけど、見て見ぬ振りを続けてはや1年。
 いつの間にかブログ本体にまで出て、ログインもできずパス再設定しようと思ったら画面真っ白。そこにエラーだけ表示されているホラーみたいな状態に。
 使っていないテーマやプラグインも結構入っていたので、この機会に大掃除した。
 メモるまでもないような内容だけど、一応簡単に記録しておく。

①WordPressからのエクスポートはできないので、DBだけバックアップ。
②サーバー上のデータを全部ダウンロード(uploadディレクトリは必須、wp-configの内容や自作以外のテーマ・プラグインはメモっておく)。
③サーバー上のデータを削除。
④WordPressを新規インストール・設定。
⑤uploadディレクトリの中身をアップロード。
⑥テーマやプラグインを再インストール・有効化。
⑦その他諸々設定。

 再インストールしても「すでにインストールされています」と出るしDBがそのままなので記事も無事だけど、あれだけ意味不明なエラーが羅列されていればPHP素人の自分にはどうしようもなく(ノ∀`) 作り直した方が早いわ!っていう。

 それにしても、WordPressのエディターが進化していてびっくり。ビジュアルモードで<br>と<p>を使い分けられるようになってる……!
 これは一番欲しかった機能で、プラグインを使ってもなかなか上手く行かなくて、結局HTMLモードでちまちま編集していた。今更な気はするけど、公式が対応してくれるとは思っていなかったのですごくありがたい。
 昔からお世話になっているプラグインもまだ更新され続けていて、すごいなぁと思ったり。仕事ならともかく、趣味でも相当好きでないとなかなか続けるのは難しそう。バージョンアップについて行くのって大変だよなぁ……。

シムビコートタービュヘイラー(最終兵器)

 以前処方してもらったことはあるけど、まさかこれから末永いお付き合いになるとは思わなかった薬の名前。使う度に「シムビコートッ!ターーーービュヘイラーーーーー!!!」と叫ぶといつの日か魔法少女になれるらしい(嘘)。

 ただのスタミナ不足かと思っていたら実は喘息でしたというお話。

 私には昔から、今考えるとちょっとおかしな症状があった。

①ちょっと階段を上った程度で心臓バクバク、息切れ → スタミナが足りないと思っていた
②いきなり激しい運動をすると、1~2時間咳が止まらなくなる → 誰でもなるものだと思っていた
③ちゃんと準備運動をしても、体力の限界を超えるレベルの激しい運動をすると、気道が狭くなった感じがして呼吸ができなくなる(息が吸えなくなる) → スタミナが足りないと(略)
④ゆっくり体力を消耗していくスポーツは問題ないけど、激しいスポーツはすぐバテる → そういう体質だと思っていた
⑤冬にランニングすると異常なほど痰が出てくる → 誰でもなるものだと(略)
⑥風邪を引いた時の咳の酷さが尋常ではない → 誰でもなる(略)
⑦風邪を引くとほぼ毎回咳喘息になる → そういう体質だと(略)
⑧安静時も呼吸が浅く、たまに深呼吸しないと気持ち悪い → 当たり前すぎて気にしていなかった
⑨マスクをつけると息が苦しい → 誰でも(略)
⑩鎖骨中央の窪みをちょっと押しただけで咳が出る → そういう体質(略)

 最近出した結論が「自分は他の人より酸素を多く必要とする燃費の悪い体なんだ。運動で苦しいのもしばらくしたら治るし、まだまだスタミナが足りないんだ」。
 が、ボクシングの練習中、さすがに③の頻発に困り果てて自分で調べてみると「運動誘発性喘息」というそれらしい病気に行き着いた。
 しかし、検査方法が「5分程度の運動をして変化を調べる」というものだったので、「つまりこれで症状が出なかったらそうじゃないってことだよな、5分ランニングマシンやった程度じゃなぁ……」と勝手に思い込み、病院へ行くのを躊躇していた。実際は症状(発作)の出る出ないではなく、呼吸の程度を調べるらしいというのを後に知った。
 また、以前ロードワーク中に③の症状が出た時、いつもは中断するところをそのまま無理に続けてみると、ふっと呼吸ができるようになったことがあり、「なんだ、限界超えたら大丈夫なんじゃないか!」と思い、その後も限界突破を狙って耐え続けた。今考えるとただのバカである。

 そして先日。
 久々に風邪を引き、またしても咳だけが悪化してきた。いい加減毎回これはめんどくさいなー何かあるのかなーと思っていたところ、夫から「一度呼吸器内科へ行ってみたら?」と提案されたので、あーそういえばそんなカテゴリもあったな、それならついでに諸々の症状についても聞いてみようか、どうせ何もないって言われるんだろうけど……と期待せずに行ってみた。

 病院では喉を見たり体内の音を聞いたりという基本的な検査の後、血液検査と肺活量の検査をした。
 基本的にそこまで異常はなかったものの、肺活量の検査だけ、薬剤の吸引前と吸引後で3割もの変化があったらしい。慢性的に喘息ではあるものの、何もしていない時に発作は起きないことから、調べた時に出てきたあの運動誘発性喘息である可能性が高いとのこと。
 とりあえず前に咳喘息になった時に処方されたタイトルの薬を、朝と夜、運動前後に吸引して様子を見ることになった。あと発作時用の薬ももらえたので、息ができなくなった時はそれを使うと良いらしい。

 これまでは風邪に付随してきた咳が問題だったので、普通に内科へ行って終わりだったけど、今回はせっかく専門の病院へ行くのだからと色々聞いてみたのが良かった。病院やお医者さんにも専門分野があるので、やはりある程度自分で目星をつけて行く必要があるのだな思った。
 まあ今回は、夫が行けって言ってくれたからだけどね!これに免じて風邪をうつしたことは許してあげよう。

 ジムは仕事と風邪・咳のせいで一ヶ月ほど行けておらず、先日復帰したばかり。まだ咳喘息が完治していないようでゲホゲホ鬱陶しいけど、これが治ればまた頑張れる。
 喘息ということで今回、本当は激しい運動は控えなくてはならないことが判明したわけだけど、あまりショックはない。これまでの謎の症状の数々の原因がわかり、それが単なるスタミナ不足ではないこと、これまで通常の6割しか呼吸機能を使えていなかったことがわかったから。
 つまり今後は、薬によって残り3割の機能を使えるようになる。これまで封印されていた闇の力が解き放たれるということだ! _|\○_ヒャッ ε=\_○ノ ホーウ!!
 闇の力かどうかはともかく、呼吸が楽になることで、これまでより体力の持ちが良くなることは間違いない……はず。

 ちなみにこれまで経験してきたスポーツは水泳・空手・ソフトボール・駅伝で、この中で明確に症状が出たのは駅伝で中距離を走った時(ダッシュに近い速さで走り続けた時)のみ。
 水泳は200mメドレーだったのになぜ大丈夫だったのかわからない。小さかったのでまだ発症していなかったか、空気が乾燥しないから?
 ソフトボールは強豪でも何でもなかったのでわかるとして、空手は激しいイメージだけどそうでもなく、道場がのんびりした所でそんなに厳しい練習もなかったので問題なかった。
 なので「今までもスポーツできてたんだし」と特に問題視していなかったけど、ボクシングは違った。自主練ではダッシュを入れた走り込みを行い、ジムでは3分1Rのインターバル30秒(普通は1分だけどうちのジムは短い)というペースでロープ・シャドー・サンドバッグ打ちなどを行い、対人戦では動き続け、殴り殴られを繰り返す。これまで経験したことのないハードワークだったのである。

 日常生活には特に支障がないので、気付くのがこんなに遅れてしまった。病院へ行くと問診票で「階段の上り下りで動悸や息切れがありますか」という質問をよく見かけたけど、そのレベルが汗だくで目を見開いて胸を押さえて「ぐっ――ハァ、ハァッ――……!」とそれこそ闇の力に呑まれようとしている主人公みたいなヤバイ状態を想像していたので、いつも「いいえ」に丸をつけていた。あの質問、もう少し具体的に書いた方が良いと思う(人のせい)。

 私は多分中学生頃からだけど、喘息は大人になってから発症する人もいるようで、大人になってからの方が重篤らしい。
 専門家の作ったチェック項目でも何でもないけど、上記の①~⑩、特に①②③⑦⑧辺りは普通の人には怪しいと思われる項目なので、思い当たる症状があればちょっと気を付けた方が良いかもしれない。

ママさん苦手な私がママさん達に救われた話

 なんて、2ちゃんのようなタイトルをつけてみる(‘ω’)
 「世の中には毎日殴られ蹴られご飯も食べられず学校に行けない子もいるんだ、その程度でつらかったとか抜かすなうんこ!」と思ってしまいそうな方には向かない記事。

 私は母親というものが苦手。
 実の母は私を産んですぐに亡くなり、赤ちゃんの頃はいとこに、2歳から中学くらいまでは父が再婚した母に育てられた(そこからは祖母)。が、母はそれはもう怖くて厳しい人で、怒られていた思い出しかない。
 よそでおやつをもらったり送り迎えをしてもらったりなど、他人に迷惑をかける(?)と怒られる、体調を崩すと怒られる、母の得意な算数ができないと怒られる、とにかく粗を見つけては怒られる。何かをやろう、何かを食べようと誘ってくれる友達へのお決まりのセリフは「お母さんに怒られるからあかんねん……」だった。
 幼稚園の頃に体調不良で迎えに来てもらうと「大したことないくせに呼び出すな、すごく恥ずかしかった。こんなこと二度とごめんだ」と怒られ、風邪で熱があってしんどいと言うと「自分は40℃の熱でも学校行った! 甘ったれんな!」と無理矢理登校させられ、教室でゲ○ったりして結果的に多大な迷惑をかけた。
 勉強は算数以外の教科は悪くなく、国語はいつも満点だったけど、「得意なものはできて当たり前、苦手なことができないと意味がない」と言われ、褒められたことがない。「○○ちゃんはすごいね~、もちはできないなんて恥ずかしいよね~」と他の子と比べられ、親同士の話の中でも扱き下ろされた。

 そして弟が生まれてから、母は異常なほど弟を可愛がり、その後のあるきっかけから母が義母だということを確信した(記憶にないので知らないも同然だったけど、過去に近所の子に聞かされていた)ので、「ああやっぱり、母が私に冷たいのはそのせいか」と、ますます状況は悪化した。喧嘩をした時に弟達と一緒にプチ家出されたこともあるし、私を頑張って育てたのは自分のプライドと名誉のためだということも後に明言していた。
 それから、私が父と仲良くしたり父との時間を邪魔されたりすると母の機嫌が悪くなり、睨んだり当たったりと邪魔扱いされていることにも気付いた。それを父に言って距離を置こうとすると「お前、おかしいんじゃないのか」と言われた。
 やっぱり私は他の人の子だった、だからお母さんは私のことが嫌いなんだ。私が生まれたせいでお母さんは死んだ。私がお母さんを殺した。お父さんもお母さんも新しいお母さんも、私がいなければ幸せになれた。全部私が悪いんだ、私のせいでみんな不幸になる。みんな私のことなんかいらないと思ってるんだ。私なんか生まれてこなければ良かった。死ね死ね死ね死ね死ね、死んでしまえ!……小学生の頃にそんな中二病全開なことを日記に書いて、何度も自殺しようとして、それでもやりきる度胸がなくて情けない思いをした。近所や学校でのいじめもあったけど、私にとっては明確に存在を否定されている家庭内の方が深刻だったので、それを理由に死のうと思ったことはなかった。
 ちなみに父は、会う機会が少なかったし割と優しかったので仲が良いと勝手に思っていたけど、それはあくまで私が自分の思い通りになっている時だけで、怒るとすぐ手を出したり、母の一方的な意見だけを聞いて怒ったり、自分の保身しか考えておらず言うことが気分次第でコロコロ変わったり、誰かの格言や経験を自分のもののように語ったり、趣味以外のお金は祖母に出させていたり、マザコンだったりア○ウェイに手を出したり借金を背負って会社のお金を横領したり私のお金に手を出したりetc…と、実はとんでもない人物だった。

 母は私と喧嘩するとすぐ父に泣きつき、夫婦でタッグを組んで責めてきた。クレーマーで外でも恥ずかしい思いをしたし、旅行(=見栄)に行ってもいちゃいちゃ二人だけの世界だったので、嫌気がさしてついて行かなくなった。
 そんな感じの子ども時代を過ごしたお陰ですっかり病んでしまい、周りが「彼氏欲しい~」「結婚したい~」「子ども欲しい~」と言うのが全く理解できない、むしろそんな人達を冷めた目で見る歪んだ人間が出来上がった。
 付き合ったり結婚したりって、母のように男にしなだれかかって生きるってことだよね?気持ち悪い。そんな人間に誰がなるもんか。私は一生独身を貫く、強くてかっこいい女になってやる!と本気で思っていた。なので夫の告白も断ったし、それこそ子どもなんてアウトオブ眼中(死語)だった。
 それが紆余曲折あって結婚に至ったものの、未だに昔の傷が消えておらず、いわゆる「生きづらさ」を抱えていることに今更気付き、戦っているところだ。
 だから、深刻に考えることなく自分から望んで子どもを持った人は、自分とは別世界の人間だと思ってしまう。周りのママさんはそういう人が9割だし、私にはその感覚が理解できない。そういう意味で「ママさんが苦手」なのだ。
 ちなみに子ども自体は好きでも嫌いでもなく、普通。その辺で遭遇すれば可愛いなぁと思うし、元気に育ってくれよ~と思うし、萌え死ぬこともある。でも好きとは違う気がするし、上手く接することもできないので、普通。

 で、そんな時。
 たまに覗いている匿名SNSで、ずっと気になっていた質問を世間のママさん達に投げかけてみた。大体わかるだろうけど、一応自分の母親のことだというのは伏せて、「もし子どもを産んだせいで自分が死んでしまったとしたら、その子を恨みますか?」と。
 死んだ後のことなんてわかるはずがないけど、私には子どもがいないので想像すらできないことだ。当時母は結婚したばかりだったし、もっと生きたかっただろうし、実際どんな風に思うのだろうと単純に疑問だった。別に恨まれていたから、そうでなかったからといって何かが変わるわけでもないし、そもそも母の死が私のせいであっても、意図的に死に至らしめたわけではない以上どうしようもないので、どんな答えを聞いても「なるほどな~ ©ペルソナ3」で終わるつもりだった。
 また、別に「そんなことないよ!」という回答を期待していたわけでもなく、「そりゃまあ恨みはするけど仕方ないよね」という内容が多いと予想していた。親は結局自分のために子どもを産み育てるものだし、望まず産んだ人・育てた人には苦痛だろうし、自分より子どもの方が大切という気持ちも理解できなかったので、むしろそちらの回答の方が納得できたと言える。
 なのにそう答えた人はただの一人もおらず、「恨むなんてとんでもない、その子と旦那が心配で仕方ないです」「子どもが元気に育ってくれることを祈るばかりです」「恨む人なんているの?」というコメントばかり。
 いやいやそんなわけないでしょ、綺麗事でしょ……と思う間もなく涙が出た。某質問サイトのように回答に特典があるわけではなく、誰だか特定できるわけでもないのに、ここで格好つけて綺麗事を言う理由がない。だから質問する場所をそこに選んだ。何より回答者はみんな子を持つ母親なのだ。
 もちろんこの回答が世の母親の総意ではないし、答えてくれた人達だって、私の母のような良くない育て方をしているかもしれない。
 それでも明らかなのは、この人達はちゃんと子どもを愛しているということ。母親というのは、自分が思っているよりずっと優しくて温かいものなのだと知ることができた。
 それでもやっぱりママさんに対する苦手意識は消えないけど、決して嫌いなわけではない。中二っぽく例えるなら、暗い穴の底からぼーっと、届かない綺麗な空を見上げている感じ。

 まあでも、他の女性の子どもを愛するのも育てるのも難しいどころじゃないよねーというのはわかるし、鬱陶しがるのも仕方ないかもしれない。実際、周りの大人はみんな「母はすごい人なんだ、大切にしろよ」しか言わなかったし、親の立場を知っている人からすれば母は立派な人間なのだと思う。
 なのに母本人は「後妻だと指を差されて興味の目で見られてきた」なんて被害妄想をしているので、「何言ってんのこの人、周りはみんなあんたの味方だったじゃないか」と怒りが湧いたけど、母も可哀想な人なのだと思った。
 でもその辺りは夫が、「もちが『おかーさんほしい!』ってゴネたりしたんならともかく、親は自分達が結婚したいからそうしたんだろ。もちは何も悪くない。母親にしたって『大変だろうけど私が選んだ道だ!』っていう覚悟がなかったってことだろ」とぶった斬ってくれた。覚悟云々はやってみないとわからないので難しい問題だけど、夫婦共に親であることより男であること・女であることを優先していたのは間違いないので正論だ。
 「私がいなければ今頃母も生きていて、みんな幸せだったのに」に対しては、「それは生まれた子が『もちではなかった』というだけで、どのみち子どもは生まれてただろ。それに母親が生きてたとしても、上手くいったかどうかなんてわからない」……なるほど!というかよく考えたらわかりそうなことだった!

 そんな感じで夫に協力してもらいつつ、何でもかんでも悪い方向に考えて自滅する癖を修正中。
 親と関わっている限りメンタルも体調も最悪、その後も色々ありすぎたというかむしろその後の方が酷かったので縁を切って、今はそれなりに平凡な日々を送っている。
 外面の良い親の本性を知っているいとこは味方だし、もういないけど祖父や祖母との思い出もあるし、小学校は最悪だったけど中学・高校は部活とその関係者との交流だけは楽しかったし、大学も色々あったけど夫と出会えた。友達はいないけど(笑)、ジムやネット上でも色んな人と出会えた。漫画・小説・アニメ・ゲーム・ドラマ・映画・音楽など、色んな作品とも出会えた。親や近所の人には恵まれなかったけど、その分良いことも楽しいこともたくさんあった。
 生きてて良かった(´∀`)b

 こんなことを書くと今後も子どもを持つつもりはないように見えるけど、実はそうではなかったりする。今はその時ではないというだけで、数年前にとあるきっかけで、いつかは欲しいなと思うようになった。
 年齢的に限界が近いけど、ちゃんと自分の病気を治して環境も整えてからだと決めている。もちろんそれでも、自分のような人間が親らしい親になれるのかはわからないけど、そこはひとまず「自分がされて嫌だったことはやらない」「されて嬉しかったであろうことはやってみる」を心がければ良いと思うし、温かい家庭で育ちまともな思考とキレる頭を持った夫という心強い人もいるので、何とかなると思う。
 そんなに上手くいくわけねーだろ子育てなめんな!という声が聞こえてきそうだけど、そこはそれ。理想の親にはなれなくても、ババァうぜーとか思われても、どんな予想外のことがあっても、最低限、ありのままのその子を認めてその子の存在を否定しない。親がそれを心がけるだけでも、子どもはぐんと生きやすくなると思うのだ。(生まれつきサイコパスだったりした場合はどうしようもないかもしれないけど)
 考えてみればうちの家族は、タイプこそ違えど祖母も母も毒親持ちのACだった。そんないらん連鎖はいい加減断ち切らなくてはならない。30数年にも渡って染み付いた癖を治すのは至難の業で、心が折れそうになることもあるけど、あの頃と比べればどうということはない。
 そろそろ本当の意味で自由になって、憧れた「普通の家庭」を築きたいと思っている。