ママさん苦手な私がママさん達に救われた話

 なんて、2ちゃんのようなタイトルをつけてみる(‘ω’)
 「世の中には毎日殴られ蹴られご飯も食べられず学校に行けない子もいるんだ、その程度でつらかったとか抜かすなうんこ!」と思ってしまいそうな方には向かない記事。

 私は母親というものが苦手。
 実の母は私を産んですぐに亡くなり、赤ちゃんの頃はいとこに、2歳から中学くらいまでは父が再婚した母に育てられた(そこからは祖母)。が、母はそれはもう怖くて厳しい人で、怒られていた思い出しかない。
 よそでおやつをもらったり送り迎えをしてもらったりなど、他人に迷惑をかける(?)と怒られる、体調を崩すと怒られる、母の得意な算数ができないと怒られる、とにかく粗を見つけては怒られる。何かをやろう、何かを食べようと誘ってくれる友達へのお決まりのセリフは「お母さんに怒られるからあかんねん……」だった。
 幼稚園の頃に体調不良で迎えに来てもらうと「大したことないくせに呼び出すな、すごく恥ずかしかった。こんなこと二度とごめんだ」と怒られ、風邪で熱があってしんどいと言うと「自分は40℃の熱でも学校行った! 甘ったれんな!」と無理矢理登校させられ、教室でゲ○ったりして結果的に多大な迷惑をかけた。
 勉強は算数以外の教科は悪くなく、国語はいつも満点だったけど、「得意なものはできて当たり前、苦手なことができないと意味がない」と言われ、褒められたことがない。「○○ちゃんはすごいね~、もちはできないなんて恥ずかしいよね~」と他の子と比べられ、親同士の話の中でも扱き下ろされた。

 そして弟が生まれてから、母は異常なほど弟を可愛がり、その後のあるきっかけから母が義母だということを確信した(記憶にないので知らないも同然だったけど、過去に近所の子に聞かされていた)ので、「ああやっぱり、母が私に冷たいのはそのせいか」と、ますます状況は悪化した。喧嘩をした時に弟達と一緒にプチ家出されたこともあるし、私を頑張って育てたのは自分のプライドと名誉のためだということも後に明言していた。
 それから、私が父と仲良くしたり父との時間を邪魔されたりすると母の機嫌が悪くなり、睨んだり当たったりと邪魔扱いされていることにも気付いた。それを父に言って距離を置こうとすると「お前、おかしいんじゃないのか」と言われた。
 やっぱり私は他の人の子だった、だからお母さんは私のことが嫌いなんだ。私が生まれたせいでお母さんは死んだ。私がお母さんを殺した。お父さんもお母さんも新しいお母さんも、私がいなければ幸せになれた。全部私が悪いんだ、私のせいでみんな不幸になる。みんな私のことなんかいらないと思ってるんだ。私なんか生まれてこなければ良かった。死ね死ね死ね死ね死ね、死んでしまえ!……小学生の頃にそんな中二病全開なことを日記に書いて、何度も自殺しようとして、それでもやりきる度胸がなくて情けない思いをした。近所や学校でのいじめもあったけど、私にとっては明確に存在を否定されている家庭内の方が深刻だったので、それを理由に死のうと思ったことはなかった。
 ちなみに父は、会う機会が少なかったし割と優しかったので仲が良いと勝手に思っていたけど、それはあくまで私が自分の思い通りになっている時だけで、怒るとすぐ手を出したり、母の一方的な意見だけを聞いて怒ったり、自分の保身しか考えておらず言うことが気分次第でコロコロ変わったり、誰かの格言や経験を自分のもののように語ったり、趣味以外のお金は祖母に出させていたり、マザコンだったりア○ウェイに手を出したり借金を背負って会社のお金を横領したり私のお金に手を出したりetc…と、実はとんでもない人物だった。

 母は私と喧嘩するとすぐ父に泣きつき、夫婦でタッグを組んで責めてきた。クレーマーで外でも恥ずかしい思いをしたし、旅行(=見栄)に行ってもいちゃいちゃ二人だけの世界だったので、嫌気がさしてついて行かなくなった。
 そんな感じの子ども時代を過ごしたお陰ですっかり病んでしまい、周りが「彼氏欲しい~」「結婚したい~」「子ども欲しい~」と言うのが全く理解できない、むしろそんな人達を冷めた目で見る歪んだ人間が出来上がった。
 付き合ったり結婚したりって、母のように男にしなだれかかって生きるってことだよね?気持ち悪い。そんな人間に誰がなるもんか。私は一生独身を貫く、強くてかっこいい女になってやる!と本気で思っていた。なので夫の告白も断ったし、それこそ子どもなんてアウトオブ眼中(死語)だった。
 それが紆余曲折あって結婚に至ったものの、未だに昔の傷が消えておらず、いわゆる「生きづらさ」を抱えていることに今更気付き、戦っているところだ。
 だから、深刻に考えることなく自分から望んで子どもを持った人は、自分とは別世界の人間だと思ってしまう。周りのママさんはそういう人が9割だし、私にはその感覚が理解できない。そういう意味で「ママさんが苦手」なのだ。
 ちなみに子ども自体は好きでも嫌いでもなく、普通。その辺で遭遇すれば可愛いなぁと思うし、元気に育ってくれよ~と思うし、萌え死ぬこともある。でも好きとは違う気がするし、上手く接することもできないので、普通。

 で、そんな時。
 たまに覗いている匿名SNSで、ずっと気になっていた質問を世間のママさん達に投げかけてみた。大体わかるだろうけど、一応自分の母親のことだというのは伏せて、「もし子どもを産んだせいで自分が死んでしまったとしたら、その子を恨みますか?」と。
 死んだ後のことなんてわかるはずがないけど、私には子どもがいないので想像すらできないことだ。当時母は結婚したばかりだったし、もっと生きたかっただろうし、実際どんな風に思うのだろうと単純に疑問だった。別に恨まれていたから、そうでなかったからといって何かが変わるわけでもないし、そもそも母の死が私のせいであっても、意図的に死に至らしめたわけではない以上どうしようもないので、どんな答えを聞いても「なるほどな~ ©ペルソナ3」で終わるつもりだった。
 また、別に「そんなことないよ!」という回答を期待していたわけでもなく、「そりゃまあ恨みはするけど仕方ないよね」という内容が多いと予想していた。親は結局自分のために子どもを産み育てるものだし、望まず産んだ人・育てた人には苦痛だろうし、自分より子どもの方が大切という気持ちも理解できなかったので、むしろそちらの回答の方が納得できたと言える。
 なのにそう答えた人はただの一人もおらず、「恨むなんてとんでもない、その子と旦那が心配で仕方ないです」「子どもが元気に育ってくれることを祈るばかりです」「恨む人なんているの?」というコメントばかり。
 いやいやそんなわけないでしょ、綺麗事でしょ……と思う間もなく涙が出た。某質問サイトのように回答に特典があるわけではなく、誰だか特定できるわけでもないのに、ここで格好つけて綺麗事を言う理由がない。だから質問する場所をそこに選んだ。何より回答者はみんな子を持つ母親なのだ。
 もちろんこの回答が世の母親の総意ではないし、答えてくれた人達だって、私の母のような良くない育て方をしているかもしれない。
 それでも明らかなのは、この人達はちゃんと子どもを愛しているということ。母親というのは、自分が思っているよりずっと優しくて温かいものなのだと知ることができた。
 それでもやっぱりママさんに対する苦手意識は消えないけど、決して嫌いなわけではない。中二っぽく例えるなら、暗い穴の底からぼーっと、届かない綺麗な空を見上げている感じ。

 まあでも、他の女性の子どもを愛するのも育てるのも難しいどころじゃないよねーというのはわかるし、鬱陶しがるのも仕方ないかもしれない。実際、周りの大人はみんな「母はすごい人なんだ、大切にしろよ」しか言わなかったし、親の立場を知っている人からすれば母は立派な人間なのだと思う。
 なのに母本人は「後妻だと指を差されて興味の目で見られてきた」なんて被害妄想をしているので、「何言ってんのこの人、周りはみんなあんたの味方だったじゃないか」と怒りが湧いたけど、母も可哀想な人なのだと思った。
 でもその辺りは夫が、「もちが『おかーさんほしい!』ってゴネたりしたんならともかく、親は自分達が結婚したいからそうしたんだろ。もちは何も悪くない。母親にしたって『大変だろうけど私が選んだ道だ!』っていう覚悟がなかったってことだろ」とぶった斬ってくれた。覚悟云々はやってみないとわからないので難しい問題だけど、夫婦共に親であることより男であること・女であることを優先していたのは間違いないので正論だ。
 「私がいなければ今頃母も生きていて、みんな幸せだったのに」に対しては、「それは生まれた子が『もちではなかった』というだけで、どのみち子どもは生まれてただろ。それに母親が生きてたとしても、上手くいったかどうかなんてわからない」……なるほど!というかよく考えたらわかりそうなことだった!

 そんな感じで夫に協力してもらいつつ、何でもかんでも悪い方向に考えて自滅する癖を修正中。
 親と関わっている限りメンタルも体調も最悪、その後も色々ありすぎたというかむしろその後の方が酷かったので縁を切って、今はそれなりに平凡な日々を送っている。
 外面の良い親の本性を知っているいとこは味方だし、もういないけど祖父や祖母との思い出もあるし、小学校は最悪だったけど中学・高校は部活とその関係者との交流だけは楽しかったし、大学も色々あったけど夫と出会えた。友達はいないけど(笑)、ジムやネット上でも色んな人と出会えた。漫画・小説・アニメ・ゲーム・ドラマ・映画・音楽など、色んな作品とも出会えた。親や近所の人には恵まれなかったけど、その分良いことも楽しいこともたくさんあった。
 生きてて良かった(´∀`)b

 こんなことを書くと今後も子どもを持つつもりはないように見えるけど、実はそうではなかったりする。今はその時ではないというだけで、数年前にとあるきっかけで、いつかは欲しいなと思うようになった。
 年齢的に限界が近いけど、ちゃんと自分の病気を治して環境も整えてからだと決めている。もちろんそれでも、自分のような人間が親らしい親になれるのかはわからないけど、そこはひとまず「自分がされて嫌だったことはやらない」「されて嬉しかったであろうことはやってみる」を心がければ良いと思うし、温かい家庭で育ちまともな思考とキレる頭を持った夫という心強い人もいるので、何とかなると思う。
 そんなに上手くいくわけねーだろ子育てなめんな!という声が聞こえてきそうだけど、そこはそれ。理想の親にはなれなくても、ババァうぜーとか思われても、どんな予想外のことがあっても、最低限、ありのままのその子を認めてその子の存在を否定しない。親がそれを心がけるだけでも、子どもはぐんと生きやすくなると思うのだ。(生まれつきサイコパスだったりした場合はどうしようもないかもしれないけど)
 考えてみればうちの家族は、タイプこそ違えど祖母も母も毒親持ちのACだった。そんないらん連鎖はいい加減断ち切らなくてはならない。30数年にも渡って染み付いた癖を治すのは至難の業で、心が折れそうになることもあるけど、あの頃と比べればどうということはない。
 そろそろ本当の意味で自由になって、憧れた「普通の家庭」を築きたいと思っている。

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